福岡からの卒業そして厚木へ。
<昨日からの続き>
福岡支社からの転勤前、私の担当先は福岡県、佐賀県、大分県と広がりました。
1日に最高で450km、九州自動車道を走り回り、時にはロマンスカーのような特急電車にも乗りました。
勿論、同期の中で一番広い営業エリアだったでしょう。
本当に本当に貴重な経験でした。
地方からIPOを目指す企業、元気のある企業を目にし、その要素を学びました。
一方、経営陣のいざこざや多角化の失敗で破たん迎える企業にも接しました。
そして、銀行員として初めての担当先であったA社もそのうちの1社だったのです。
本業とは全く関係のない分野に手を出し、本来仕入れ資金に回すべきお金が投資されました。
その投資は本業の利益で補える規模を超え、さらに景気の悪化が連鎖しました。
当然、銀行もその異変に気が付き、、、倒産したのは私が福岡から転勤になった僅か1年後でした。
東京に移った私がA社の倒産を知った時、サラリーマンとして、銀行員としての転機を迎えました。
そしてA社の社長からの電話がそれを後押ししました。
「一生懸命応援してもらったけど、会社潰しちゃったよ。でも、必ずまた頑張って復活するから、O君も頑張れよ!!」
元々、銀行に長くいるつもりはありませんでした。
だって、銀行は嫌いだったのですから。
それでも銀行で様々なことを学び、一生の糧を得ました。
人間のように大きく成長し、死を迎える場面まで全てを見ることが出来ました。
だからこそ、次は本当に本当に好きな場所で自分の一生を懸けて頑張りたい、と思いました。
そう。
大好きな厚木で仕事をして生活をして、ここで頑張って一生を過ごしたいんだ、と。
実は、具体的に厚木で仕事を・・・となるまでにはもうワンステップあるわけですが、それはまた今度書くこととします。
とりあえず、銀行シリーズはここまで。
なんせ今日は私の○○回目の誕生日ですから。
<了>
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コメント
お誕生日おめでとう
投稿: なが〇か | 2010年2月18日 (木) 01時39分